あんまり死なない方がいいですよ。

この一年で体験したことを遺しておく。

世界の片隅に優しさが潜んでいるのなら

また死のうとした。「死にたい」とぼんやり思うことはあっても行動に移すことはそんなにないから、最近参っているんだろうなと思う。

21日に人と会う約束をしていたから、それまでに死のうと思っていた。学校で死にそびれたから。

でも時間っていうのは良くも悪くも高揚を鈍らせてくれて、目が覚めれば「暑い」に感情は収束してしまった。結果的に良かったと思う。

悪いことが重なると精神に悪い。考えすぎか、実際に解決しなければならないことか、解決できることか、今考える事じゃないか、問題の距離感を改めて考えることで実はそこまで重なっていなかったりもする。今回はそれだった。

でも考えれば悲しいことばかりなので考えるのをやめる。やめることができるうちはやめよう。

 

******

名古屋で会う予定がおまえちゃんの体調が思わしくなかったためおまえちゃんの家でお酒を飲むことになった。

遠方からはるばる来た村井君もお昼からおまえちゃんと合流していた。

おまえちゃんと合うのは2回目、村井君は初めて会う。

いつもよりかわいい服を着て、化粧をしっかりした。人に会う時の最低限のマナー。

4コマを終えて電車に乗る。本を読んだり外の景色を眺めたりした。

嘘。8割くらいツイッター見てた。すいません。

 

駅についてから少し時間があったのでキャスをして時間をつぶす。

さそさんが「人はやがて死ぬ」とだけコメントして消えていったのがツボだった。

人はやがて死ぬ。やがて死ぬならいつ死んでもいいとは思う。

人生の選択は個人の自由。生きている以上人とのつながりができてしまうから、そこに誰かの気持ちが入ることは仕方がない。揺さぶられるも無視するも、それもまた自由。

通り過ぎる人の多さにブチ切れていたら迎えが来た。

そのまま夕食とお酒の買い出し。何故か私の家の最寄りのスーパーで買い物。

 

これ、あまり体験した人いないと思うんで言うんですけど…地元にインターネットの人間がいるの…

 

ハチャメチャに不気味

 

何回か「夢か…?」と思って一人でニヤニヤしていた。情報量の多い人間と甚平着た熊と妙に気合の入った女がスーパーにいること自体が恐怖。珍道中。ハイスクール奇面組

人がご飯を選んでいるところを見るのが恥ずかしいところがあって、自分が選んでいるところを見られるのも恥ずかしいんですよね。言語化しにくい感覚なんですけど、きゃ~!って思いながら見ていました。眠っているところを見られるのも恥ずかしいのと同じかな。本能に近い部分を見られるのは恥ずかしい。セックスはどうでもいい。(は・・・?)

 

家に着くとじっとりとした空間に案内された。エアコンがないので3人で冷えピタを貼ってご飯を食べた。おまえちゃんの部屋は領主そっくりな部屋だった。どこを見ていても飽きない。つまるところ、情報量が多い。どこを見ても文字が飛び込んでくる。面白くてきょろきょろしていた。

PCでしょうもない動画を見たり、ヤバい人間の動画を見たりした。バジリスクタイムの元ネタも教えてもらった。くだらなさすぎて笑ってたけど、案外破滅的な動画を見るというのはストレス発散に繋がる。ホラゲ実況なんかも辛うじて残っている感情を揺さぶられるから、それが楽しくて見ている節がある。たまにはピンクの前進スーツを身にまとった人間で感情を制止させてもいいかもしれない。うーん、あんまりやりたくないな…。

ビールをいただいて、おまえちゃんのグァバジュースを3人で回して飲んで「形容しがたい味」という感想に落ち着いた。全員グァバを食べたことがないのが大きかった。

お酒も良い感じに回ってきた頃にキャスを始めた。コインを投げてもらったおかげで2時間やらせていただいたのかな?ありがとうございました。バンザイの話をした記憶しかないです。

そう、バンザイ同盟の法被を着させていただいて、私のために撮ってくれた動画を見せてもらって、村井君の優しさヤバくない…?って嬉しい気持ちとビックリの気持ちで笑ってしまった。うつヌケももらえたの。サインもらうの忘れた。村井君の。

私と村井君はバンザイ同盟最高~!ってなってたのに、おまえちゃんが何も思ってない温度差も最高だった。ともかく生きててよかった。うちのサークルも法被が良かったな…。

 

それからベースの動画を見ていた。もう一度始めたいなって思った。

ベースの音が昔から好き。エッチだな~という感想しか出ないからレビューとかはできないんだけど。音楽聞いててもベースの音に集中して聞く時がある。演奏している様子を見るのも好き。人によって弾き方が違うし、何より音から人間性が伝わってくる。ハッとするような音を奏でる人は思わず気分が高揚する。弾き方としては命削るみたいな弾き方が好きです。体全体で弾くのがいい。それくらい打ち込んでいるのをみるとかっこいいなって思う。

 

それはそうと夜更けも夜更け。

何故か二人は服薬しているのに寝ない。暑さのせいもあるだろうけど、何も飲んでいない私が一番眠かった自信がある。若いかよ…。

しばらく話していたら「電気消す?」っておまえちゃんが聞いてくれて、ようやくみなさんご就寝かな?と思った。

 

違った。ここからが本番だった。

 

なんであんな話になったんだろう。いい思い出ばかり忘れていくこの頭を久々に憎んでいる。

私は人に自分の話をすることが苦手。言語化はいくらでもできるけど、それを人に話すことは抵抗を感じてしまう。それは私の人生が全く話してても面白いものではないし、相手を不快にさせてしまうことを知っているから。それならもっと辛い思いをしている人や、楽しい思いをしている人の話を聞いて、質問しながらコミュニケーションをとっていきたい。誰も不快にならないし、私が疲れたとしても相手が苦しい思いをすることはない。

お酒が入ってたのもあったのか、気づいたら二人にほとんど言ったことがない話をべらべら話していた。二人は聞いてくれた。中学時代の友人に自分の話をしたらお通夜になってしまった過去があるから、黙って聞いてくれることに驚いた。

私は嫌だなと思ったことを怒っていいのか判別することがあまり得意じゃない。すぐにカッとなってしまうから「これは怒っていいことなのかな?」と一旦距離を置いて、誰かに相談して初めて「これは怒ってよかったんだ」という結論に至る。今回も話をして「それは気にすることじゃない。なんでそんなに執着するの」って言ってくれたり、悩んでいることを「そういう傾向はありそうだから、病院で話できるといいね」みたいな感じで、親身になりすぎない適切な距離感のアドバイスをくれた。

面白かったのは村井君も私もすぐに失くしものをするし、話している時に手が動いてないことがない。昔からモヤモヤしていたものが確信に変わった気がして、それも含めて村井君に会えてよかったと思った。

おまえちゃんは「気にしちゃダメ!」「もっと人を頼って!」「休んでもいいんだよ!」って、太陽みたいなアドバイスをたくさんくれた。

 

「自殺する土俵に入り込んだらもうこっちから助けられることはなくなっちゃうから、小出しにして。これくらいなら全然ストレスじゃないよ。電話でもラインでも、何でもいいから連絡してよ。」

 

うっかり泣きそうだった。人ってもっと冷たいものだと思ってた。

今は人の話を聞く余裕がなくなっているのも、十分に分かった。今は自分の声に耳を傾ける時なんだ。でもやっぱり、みんなの話を聞いてあげられなくて申し訳ないと思った。今思い返して嬉しい気持ちはとてもあるけど、申し訳ない気持ちがどうしても消えない。でも、それをやさしさでくるまれているような、くすぐったい気持ちがある。

 

人に迷惑をかけるのが怖い。無理をしないと人並みにできない。無理をしたらしたで余計な迷惑をかける。周りからの刺激に必要以上に恐れて、いい子ではなく、社会的に価値がある存在になりたかった。決して私はいい子じゃない。性格は悪い。悪いからこそ、人間の悪い感情が沸きやすいからこそ、人が怖いんだと思う。

 

気づいたら朝だった。ほんの少し寝て、カラオケに行った。

若いかよ。

2時間全力で歌って懐かしい曲を入れてみんなで「ぎゃぁ~~~」ってなったりした。

ワールドイズマイン!magnet!初めての恋が終わる時!

ぎゃ~~~~~!!!

 

そのあとは各々解散した。村井君には7月末にもう一回会うかもしれない。

とにかく、楽しかった。生きててよかった。

会う日の午前に死のうとしてた人間がいうことじゃないよね。

「死ぬか死なないかはわからないけど、今近い人の中では一番死にそう」と言われて、ああ、馬鹿にされてるわけじゃなかった。良かった、と安心した。

不思議な2日間だった。楽しかった。優しい空間が永遠に続いていた。

きっとこれからこの気持ちもすっかり流されて、苦しさのあまり逃げ出したくなることがいくらでも起きる。誰かにどうこうできる問題じゃない。私の苦しさは、最終的には私が治すしかないから。

でも、これからも、辛い間も、その後も、今日のことは忘れずにいたい。

 

記憶が消えないうちに書きたかったのにほとんど消えてて悲しい。

でも思い出せるところだけでも書けて良かった。

夏が始まる。バイトは完遂できなくて悲しいけど、会える人には会いたいな。

脳に刻み込める優しさが手に入ってしまう環境にひたすら感謝しています。

ありがとうございました!

アスペル・カノジョを読んで

バイト前、休日ダイヤだったこともあって早めに電車に乗っていた。

ツイッターを眺めていたら漫画が流れてきた。興味本位で読んでみた。

たまたま暇だったから。

 

seiga.nicovideo.jp

 

最初の感想は「見なきゃよかった」。これに尽きる。

もう読み進めていくうちに止まらなくなってしまって、何とか降りた駅で立ちすくんで読んでいた。体のいたるところに何かがぶっ刺さるような衝撃が読み進めるごとに襲ってくる。身体の輪郭は完全に消失してしまっているのにどこからか震える自分を見つめているような、奇妙な感覚だった。脳みそだけがかろうじて機能しているような、言語化が難しい不快感。

なんとかトイレまで行って祝日ムードの雑踏から逃れることができた。自分の存在を確認しないとまずい状態だったので人に電話を頼み、声が自分に投げかけられている実感が体に魂を収まらせた。安心と、またスルリと抜けていってしまう魂の不安定さに思わず泣いてしまった。

フィクションだろうがリアルだろうが、琴線に触れるものは存在する。そこに大小の差はなくて、感じたものはすべて事実で、その不快感と衝撃は誰しもどこかで経験することだ。

その境目や価値基準が揺らぐ程度には、アの漫画に打ちのめされた。

だからここから書くことは見ない方がいい人も絶対いる。傷の掘り起こしをするほど人生に暇がある人なんてそういない。

 

別にアの漫画を解き明かそうとか、先日の不穏なTLをほじくり返そうとか、表現規制の話をしたいわけじゃない。絵や文字に受けた衝撃を言語化して、どうしてこんなに面食らってしまったのか自分と向き合うための場所。入院してた時も延々と文面に起こした己の感情を向き合っていた。視覚の情報は強い。整理することも大事。後はタイミングを見計らうだけ。それが今。

 

第3話

昨日は凄く嬉しくて、久しぶりに楽しい気持ちのままドキドキしてて

でも、寝る時に中学とか高校の記憶がフラッシュバックして不安になったんです

起きたらまた、辛いことばっかり思い出すのかなって

斉藤さんがリスカの処置をした後の言葉。

情緒不安定なもんだから、昼間ハチャメチャに楽しくても夜にはさめざめと泣いている、なんてことは結構ある。高揚はいつまでも続くことはない。特に夜、誰とも話すことがないと自分と対話するしかないんだよね。そうすると感情は一気に0を飛び越えてマイナスまで落ちてしまう。真っ逆さま。明日の余計な心配までして悲しくなって、気づいたら腕がボロボロだった、という経験のある人は多いと思う。

 

後犬を蹴るシーン、さすがに動物相手にはやらないけど(動物は弱いから)、考えれば調子の悪い時は学生が横を通るたびに舌打ちをしてしまう。でも人間は強いからそれ以上できない。別に向こうは攻撃しているわけではないのも何とか理解できている。今日なんて服の模様に睨みつけられている感覚がすごかった。無意識に攻撃されているとどうしていいかわからない。だから感情の抑制が効かない。だから斉藤さんの気持ちが少しわかってしまう。漫画の感想が口河漏れてしまっているシーンがだいぶ近い。

 

 

第5話

生まれた時から生きるのが難しい運命だった

みたいな感じですか? 

 

原因を探すだけ無駄、最初から決まってた事

「ウミガメ」の話をするシーン。

小学校の頃からぼんやり生まれた「死にたさ」というのが慢性的に続いてるのがまあまあ変、ということを徐々に理解し始めている。そりゃ誰でも死にたくなることはあって、どこかに逃げたいとか、辞めたいとか、具体的な意味合いもあれば本当に世界から消えたいと思うくらいの「死にたさ」が存在している。人生だもん。健常者でさえ毎日ハッピーに生きているわけないでしょ。全員辛い瞬間は確実に存在してるでしょ。

それが「線」か「点」かで生きづらさが決まるのも事実。語尾に「~だから死にたい」と呼吸するように、でもしっかりと実体を持って呟くことができてしまうのは、まあ、あんまりよくない。そこに原因があるのか、はたまたないのか。このやり取りで少し考えさせられた。

最初から決まってたことなのだとしたら辛いな。そういう属性ってことでしょ。 

 

あとここ

普段なら死ぬ程の事じゃないとか残された人に迷惑かかるなって分かってるんですけど

景色がフワッと窓の内側から外を見るみたいに遠くなって

お風呂で立ちくらみした時みたいに

考えてた事とか聞いた言葉とか全部ぼやけるんです

あれ、なんか全部どうでもいいやって

すっごいねえ~

まんまこれでしょ、辛うじて意識ある時って葬式代とか調べて「このお金がたまるまでは死ねない…」とかやるし、もっと余裕があればピンチから逃れる方法や、代替案、むしろ諦める、みたいな人生の解法がいくらでも浮かぶんですけど…

衝動に飲み込まれると津波が来たみたいに目の前の理性やら社会やら繋がりっていうもんが0になるんですよね。

「死んじゃダメ」「生きててほしい」

嬉しい言葉には違いないけど、津波に飲み込まれている人間にその声が届くかというと、それは難しいよね。本当に大切な人には日ごろからの声かけが大事だと思う。

 「本当にダメになったらお互い連絡だけはしよう」と約束している人がいる。お互いにこの言葉に嘘はないし、先日の自殺企図の時は連絡した(はず)。でも耐え難い衝動が来た時に守れるかと言われたら自信がない。それだけ衝動は強い。強すぎる。

 

だからこそ

意識が飛んだ時たった一つでもコントロール出来る”動作”があれば

 手は打てるかも知れない

 体に覚えこませるということ、津波の中で吹ける笛を持つということがどれだけ大切かわかる。誰かがウキワを投げ入れると言ってくれるなら挙げられる手があるかもしれない。「考えさせずに」って言えるその精神どこから来るんだ横井。すげーなお前は。

死の淵から救い出せるのは絶対に裏切らない存在。それ以外何があるんだろう。

これは人間以外でもですよ。お金とか宗教とか、そういうのも含めてね。

 

これ、待ち受けにしますね

人から言われた好意がすべて抜け落ちてしまうので、すごいわかる。

写真に撮って残しておかないと忘れる。救済措置だとしても忘れる。

なので、ラインで嬉しかった言葉はスクショですべて残してあります。 

 

第6話

受け入れてくれる他者に対して己の不潔さが気になるっていうのは結構ある気がする。内面においても外見においても。この人のそばにいるだけの価値が自分にあるのか?ということは毎日考えさせられる。

受け入れてくれるキャパシティを測りかねているのもあるし、何よりまず自分のふがいない部分を受け入れてくれる状態が発生することへの恐怖が強い。どこまでのめりこんでいいのかわからない。家族でさえお金借りるのは怖いじゃないですか。あれと同じです。私は他人の人生に介入するのが怖いので、なんなら彼氏を朝起こすこともできない。理由は怖いから。責任持てないから。

 

横井さんに謝らせた

で、自分のふがいない部分っていうのは自分が一番理解しているわけで。ずっと自分のことを考えながら生きていると悪いところなんていくらでも挙げられる。私にやさしいあなたより私は私のこと一番わかっているんだから。知ったような顔しないで!と思ってしまう。

そんな部分を自分で尻ぬぐいすることができず、助けてくれる人に余分な負荷をかけてしまったことに対する申し訳なさというのは言語化するのが難しい。それくらいには、辛い。相手が些細なことだと思っていたとしても、それを理解することすらできない。

時間が解決するのを待つしかない。申し訳なさは誰かに何かを言われることで消えるものじゃないから。

 

女は男とは違う独特の勘の鋭さがあるというが

障害がそれをさらに何倍も鋭敏にする場合があるらしい

 ネット恋愛の関係性だけいち早く察知する能力がある。

あの人はこの人が好きそうだな。あそこは付き合ってそうだな。とか。

大体当たるので楽しいです。でも、現実はさっぱり…。

 

第7話

 テレビが見てられない、というのは誰にでもある感情だと思うから特に何も言わない。

酷い時はオーケストラを永遠に見ていた。最近はもっぱらNHKの料理番組。平和。

 

二人が話をしている時に突然斉藤さんが放つこの言葉。

でも横井さんだって私の顔嫌いでしょ? 

 はい、身に覚えがありますね。次行きましょう。誰かにとっては些細な行動や言葉が心にチクッと刺さってそれがどんどん溜まっていく。それが1回だけだったとしても当人が心の中で反芻を繰り返すことになるので、疑惑が確信に変わっていってしまう。斉藤さんが断言するような口ぶりなのも、きっと目が合わないことが繰り返されたことによるものなのかな。

 

魚は?鳥は?虫は?看板は?鏡は?漫画は? 

 はいきた!!!!!

「自分」のことが嫌いなのではなくて、「目を持つすべての物」が苦手であるという確信が持てない限り「この人は私の顔が大嫌いで見たくもないんだろうな」と思う。

とにかく聞く。思いつく限りのあらゆる例を挙げて、すべてに否定が返ってくるかを「確認」しないと気が済まない。もし少しでも「例外」が見つかってしまえば私は嫌われているのに等しいし、一緒にいてはいけない存在だと感じてしまう。1の例外は100の自己否定になってしまう感覚。身に覚えがありすぎる。

 

 

この後フラッシュバックによりパニックを起こしてしまう斉藤さん。

この時の横井の対応は素晴らしいと思う。電話をかけることができた斉藤さんも偉い。

 

わかんない 怖い

パニックになると目の前が真っ白なのか真っ暗なのかわからなくなってしまって、とにかく脳みそが混乱する。何を言われてもわからない。

先日学校の屋上から飛び降りようとしたときに「死にたい、でも怖い」という気持ちからすがる思いで電話をした。どれだけ叫んでも泣いてもレスポンスが返ってこずカッとなって携帯を地面に投げ落としてしまった。自殺の淵に立たされた人間の衝動というのは前後のことを考える余裕がない。だからこそ、丁寧に言葉を切らさずに斉藤さんと連絡を取り続けた横井の対応は拍手ものだった。

まあ、だからといってこの対応がすべてのパニックに通用するかと言ったらそれは断じて否。本人でさえ把握できないのだからそばにいる人の苦労は計り知れないだろうな。申し訳ありません…。

 

****************

第8話

心配性な人間はつい、最悪の事態を想像してしまうが

彼女はそこからパニック症状を発してしまうので

言葉は慎重に選ばなければならない

先にシャワーを勧められて「臭かったですか?」と斉藤さんが心配するシーン。

相手にとっては何気ない言葉、仕草だとしても、その人が大切であればあるほど考え込んでしまう。他にも職場の人や学校の人間関係といった「関わらざるを得ない人達」の顔色はうかがわずにはいられない。少しでも不穏な動きをされようものならその日は「何をしでかしてしまったのだろう…」と心が締め付けられる。

例を挙げるとするなら、気になっている人からいつも言われている「おはよう」を言われなかっただけで

 

「私何かした?どうしてこんなに嫌われた?そういえば昨日のあの言葉なれなれしかったかな…もしかしたら他に興味が移ってしまったのかも、私はもういらないのかな、でもそれはとても悲しい、どうしたらいいのかわからない、どうしたらいい?なんで?」

 

となる。(めんどくせー!)

ただ「おはよう」を言われなかっただけというのもわかっている。しかしどうしても思考を止めることができず、脳内でショックをリフレインさせていくうちに負の感情が増幅、結果パニックに繋がってしまう。

現代のSNS文化も過剰な心配性に拍車をかける起爆剤にしかならない。表情や声色が分からない上に表現に乏しい文面だけ送られてきたときの絶望感たるや。全員が文章のプロフェッショナルではないし、コンディションが万全ではないときがあるのも理解はしているけど、なかなかね…。

 

第9話

普通の人に生まれたかった

この漫画で何かがぶっ刺さる感覚を得た人間はこの言葉に痛く共感したと思う。

生きづらさに名前がついていようといなかろうと、抱えている人間というのは様々な場面で躓かなくていい石につまづき、派手に転ぶ。避けられない痛みをこらえて何とか起き上がるも、周囲は感じることのない痛みであることを肌で感じながら、その絶望を伝える術もなく、日に日に傷が増えていく体を奮い立たせて生きていく。

「普通」に生きていくことの難しさに何度も挫折しながら、次第に「普通」に憧れるようになる。すぐそばにあるのに、嫌ってくらい目に入るのに、絶対に、絶対に手に入らないもの。苦しさの根源。

 

対して横井はこう返す。

痛みを鋭敏に感じられるのは才能だよ

だから俺達は天才なの

変じゃない

周囲の人間が知覚することのない感覚を私たちは手に入れている。それが悪い作用に働くこともあれば、良い方向に作用することもある。

例えばこのブログがそうだ。「普通」だったら、きっとアスペル・カノジョにこれほどまでに共感していなかったと思うし、必死で言語化して伝えようという気持ちさえ起らなかった。そして、多くの人に読んでもらったことで新たなつながりも生まれた。良い作用が働いたと言っていい。

「普通」の反対は「変」ではなくもう一つの「普通」が存在している。そう思うのはアスペル・カノジョやこのブログに共感する人が多く見受けられたからである。"私達"は孤独ではない。どこかの誰かは貴方の「普通」に共感してくれる。認めてくれる。そのためには発信することが大切だ。拙くても必死に声を上げることで、横井の漫画を見つけた斉藤さんのような人が現れるかもしれない。

 

第10話

斉藤さんが横井のブックマークを見たシーン

横井さんの

ブックマーク………

これほんtttttっとうに嬉しい

私は今まで自分から症状を書いて渡して、本も渡して(読んでもらえなかった)ってやってたから、自発的に調べて対処しようとしてくれる人は菩薩に見える。

直近でわざわざ症状を調べてくれる人に会いましたが、あれは本当にうれしい。

障害や病気を抱えている人と付き合う人はそれくらい背負う覚悟がないと寄り添うのは難しいのかな…とも思う。こちらも最大限の努力はしますが、それでどうにかなってたら苦しんでないんだよな…。

とても好きなシーンです。

 

第11話

斉藤さんが横井を殴ってしまうシーン。

私は病気を発症してから大切な人に対して暴力を振るうようになってしまった。

暴力を振るうということを大多数の人はしないということは理解している。でも私の世界では暴力を振るうことが普通になってしまっていて、自分の理性で押さえつけることは到底できない。私が女性でなかったら骨折させていると思う。

どうしたら感情の制御ができるのかがわからない。必死で自分の頭を殴っても叫んでみても形容しがたい怒りや悲しみは増幅し、気づけば理性がシュルシュルとどこかにいってしまう。それが最高点に達すると自傷が他害にシフトし、全力で相手を蹴り飛ばし、平手打ちをしている。

カッとなる、という感覚は非常に的確だ。何度も何度も殴った後に相手がうずくまっているところで我に返る。

 

取り返しのつかないことをしてしまった、大好きな人なのに、もう殴らないって決めたのに、痛いことをしてしまった、ごめんなさい、ごめんなさい、違う、違う、こんなことがしたかったんじゃ違う違う違うごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 

ようやく帰ってきた理性と耐え難い絶望、果てしない自責がない交ぜになり、気づけば相手よりも焦燥し、呼吸をすることさえ困難になってしまう。殴った相手に介抱してもらうことが何度もあった。とにかく私は相手に抱き着いて殴ったところをさすり、「違う、違う」ということしかできなかった。完全にDVの典型だ。

だからこそ今回の殴るシーンはひどく共感した。共感しすぎて斉藤さんの気持ちと同化してしまい、あまりの辛さに街中で泣いてしまった。読み返しても悲しくなってしまう。お付き合いしてた皆さん、本当に申し訳ありませんでした。

こんなに自分のことを描いている漫画、他にあるんだろうか…。

 

第12話

12話も全体的にきついシーンが多かったけど、漫画の中で完結して表現されているところが多かったのでそこらへんは省こうと思います(肉食獣と赤子のシーンとか)

 

言葉だけできょうのショックを和らげるような裏技は存在しない

慎重に斉藤さんの様子を伺って

突飛な行動に警戒しながら

時間をかけて癒していくしかない

横井と斉藤さんが話し合ったあとのシーン。

なんでこんなこと言えるんだろう、びっくりする。

今までの人はその場ですべて完結させようとしたし、私もどれだけ辛くても完結させなければいけないと思っていた。しかし負の感情をその場で完結させられるわけがなく、次の日の体調が悪ければ必然的に思い出してしまうこともある。そのたびにどんどん対応が雑になっていく様子が見て取れて、それがとても苦しかった。

「時間を書けて癒していくしかない」という、長期戦であることを覚悟のうえで斉藤さんを受け入れられる横井の懐のでかさがすごい。いやフィクションなのはわかっているんだけどそれでもすごい。

凝り固まった苦しみというのは脆く、耐え難い何かによって修復不可能な状態までいってしまうことも少なくない。でも、その傷は時間をかけていくことである程度の状態まで戻すことができる。これは絶対に。ただその時間が1日なのか、5年なのかは誰にもわからない。当人にさえも見当がつかない。それに寄り添っていくのはプロでも難しいことだと思う。横井…横井すごいな…。

 

第15話

いつか治るものじゃなくて

生まれたら一生そのままの体でいなきゃいけないんです

斉藤さんの子供を産むことに対しての話。

双極性"障害"も子供に遺伝する可能性があると知り、私も絶対に出産はしないと決めた。恋人を作らないと決めている時点で出産のリスクはないので良いのだけど、ともあれ人生のメインクエストは大体諦めなければならなくなった。

常に死の淵に立ち、少し揺らげば死に取り込まれてしまう感覚を知ってしまうと、それを子供にまで味合わせたくないという気持ちが働くのは必然だと思う。呼吸をすることさえ苦しくて、食事をとることが耐え難いことのように感じ、寝る前に自然と涙があふれてくるような、黒い靄がずっと視界を覆うような、あの感覚は知るべきじゃない。

そもそも自分の遺伝子を残したくない。というかうっかり殺しそう。本当に。

横井は出産の話において非常に健常的な意見を持っているが、斉藤さんの意見も汲みながら「保留」という形にしたのは最適解であると思う。

 

横井さんにお礼も出来ない

自分はいて迷惑だという思いが付きまとう中でせっかくできる「お礼」が、己の価値観によって封じられてしまうことによる情けなさと申し訳なさが表れていると思う。

私もセックスを相手の時間を消費したお礼として利用する節があるので、気持ちはわかる。会ってご飯を食べてお金を払ってもらって…と考えるとそれまでの時間の価値はマイナスになってしまっているわけだから、素直に評価されるセックスであれば相手も喜ぶし私も安心する。それだけのツール。

 

第17話

大事な人守る時にはある程度の人数もいるぞ

相馬さんが横井と話すシーン。

アスペル・カノジョの場合は斉藤さんが大変な時に横井の仕事を変わってくれる人であったり、斉藤さんの様子を見てくれる人であったり、というのが一番身近に必要とされる人員であると思う。

私達の場合においては家族であったり友人であったり、恋人や職場の人といった人たちも含め、まずは医療とリンクすることが大事になってくる。

医者と合わないというのは治療において不利益を被る。実際に私は医者と合わず何回か病院を変えている。斉藤さんは人の好みが激しく分かれるので医者選びが億劫になり病院に行かなくなったタイプだろうな。でも、適切な治療をしない限り社会に溶け込む準備すら困難になってしまう。人間関係を築くうえでも体調を整えることは最優先事項だ。今回のこの話は横井の対人恐怖症を際立たせるシーンだが、私は対人恐怖症の気が全くないのでここではそちらについての言及はしない。

 

☆ここまで書いて力尽きました 後日加速した時に加筆します。また書評として別記事でまとめると思います。

 

最後に

自分みたいなのを知ってくれる人がいるんだなって安心する

どの本も何を読んでもいつも無視されてて

治せない私が悪いって言われてるみたいだった

アスペル・カノジョを読んで斉藤さんのこのセリフが沁みた。

私の場合もこんなに自分のことを描いている漫画も、場所も、どこにもない。

横井のような人がほしいとか、白馬にまたがったカウンセラーが現れてほしいとか、そういうあさましい感情を持っているわけではなくて…。これは男女の恋愛を描いたものではないし、「横井みたいな理解者がほしい!」「斉藤さんみたいな人間を救ってあげたい!」という感想をお持ちになる方がいらっしゃるなら全員殴ります。そういう話じゃねえよこれは。

生きづらさを誰かに認めてもらい、受け入れ、社会とリンクしていく。そうして徐々に「助けてくれる人」を増やしていくことが生きづらさを抱える人間がたどりつく人生の解法だと思う。

様々な人が様々な視点に立って心をかき乱されているのを見かけた。それだけ迫力があり、渦中の人間に何かを思わせる作品だ。

このブログを読んで「気になる」と思ったら是非読んでみてほしいし、おそらく「気になる」と思う状況で読むには多少ダメージが多い気もする。

私は最初のダメージが大きかったものの今では何回も読み返している。読み返しては一つ一つの言葉に心をほぐしてもらっている。

「そういう世界が見えている人」に届きますように。

恋愛観がぶっ壊れている

恋愛をそもそも美しいものだと仮定していないから、SNSで切り貼りされたカップルの写真を見ると反射的に嘔吐してしまう。刹那に全力かけるのやめてもらえますか。その散々加工された美の裏側で君たちは血みどろの喧嘩してるんでしょう。はまれば沼。抜け出してもじっとりした感触は拭えない。非生産的な人間関係だと常々思います。美しさを捏造しないでください。やめて。怖い。どこからそんな感情湧き出してくるの。

 

でも恋愛感情は持ってしまう。軽率に持つ。恋愛体質と言ってもいい。

しかも自分のことを好きにならない人のことを好きになる。私の価値を見出さない人なんて価値があるに決まっている。最高だと思う。わかってる。

そもそも私のことを好きになってお付き合いをした時点で幸せにできないから、なんというか、なにがどうしたって地獄になってしまう。

今まで付き合った人たちは全員向こうから好きになってくれて、「ふーん」と思っているうちにズブズブと共依存になっていく。どちらかが耐えきれなくなったら終わり。お互いに気持ち悪いくらい情が残ってしまっているから、すっぱり別れられたことがない。精神というより体に依存していたような気もする。相手に答えを聞いたことはなかったけれど。微妙な関係の時は言葉を尽くすほど面倒になってしまうから、3本くらいの糸が絡まるくらいでちょうどいい。無理にほどこうとしても指が痛くなってしまうから。

一人暮らしの彼氏が居たときは週3~4で泊まっていて、体調が良くなかった頃は学校に行くこともできず部屋で寝ていることが多かった。お風呂も一人で入れない。だから一緒に入って全部洗ってもらって、髪の毛も乾かしてもらっていた。ご飯ももちろん食べれなかったからお昼休みに彼氏がわざわざ家まで戻ってきて食べさせてくれることもあった。外に出たのが2日ぶりなんてこともざらだった。柔らかい風とほの暗い夕闇を頬に感じる。駅まで歩く間、徐々に社会や人生に戻っていかなければならない事実が耐え難くて何度もシャドウに飛び込もうとしていた。社会と断絶した空間で過ごすのは精神に悪いことこの上なかったし、互いに悪いところが見えてケンカも頻発したけど、でも皮膚と皮膚が張り付くくらいには密な時間を過ごしていて、その間だけは社会も人生も呼吸も忘れられていた。とにかく人間として生きていることを忘れたかったんだと思う。その願望は今でも消えていない。密室で誰かと肌を寄せ合って、秒針の音を気にしなくていいあの瞬間は一番「幸福な死」に近い気がする。あくまでも私の場合。

 

TSUTAYAで借りたカートゥーンアニメのDVDを流し見しながら、二人で作ったシチューを食べていたあの時間は「幸せ」と呼んでよかった。深夜、彼氏の家着を借りて最寄りのコンビニまで手をつなぎアイスを買いに行く。アイスを選ぶふりをしながら店員に隠れてキスをしたり。これのどこが美しいってんだよ。バカか。節操なさすぎ。

何もできない私に赤の他人がなんでそこまでしてくれるかわからなかったけど、思い返せば介護を強要していた時もあったし、それに相手が懸命に応えようとすれば時間もお金も無駄にかかるわけで、気づけば貯金を食いつぶし留年もさせてしまった。留年のセンスが元々あったとは思うけど、決定打は完璧に私の存在。ごめんなさい。

もしかしたら何もできない人間に何かを施すことで自己の輪郭をなぞっていたのかもしれない。優越感なしに恋愛は成立しないからね。それは積極的に肯定していきたいし、やましい感情は否定するもんじゃない。人間の心はいつだってやましい。

 

やましい人間だけど、他人の人生を踏み荒らしてまで幸せになりたいとは思わない。

誰かに狙いを定めてしまうとエゴや愛や傲慢、依存を一極集中でぶっぱなすから気づいたら粉々になっている。自分から好きになったらまた違う恋愛ができるんかな。したことないからわからないけど。でも私は相手に何もしてあげられないから、やっぱり恋愛はしたくないなあ。恋愛って荷が重い。双方の人生が一気に交差するから時間やお金の浪費を考えると迂闊に手を出せるものではないと思う。21歳にもなるとさすがにわかる。私は恋愛に向いていない。そもそも恋愛に向いている人格って何。教えてください。

というか、さんざん言っているけど別に外野で恋愛はしてくれていいんですよ。価値がある人間同士が愛をはぐくむのは悪いことじゃないと思います。綺麗ではないと思うけど。そうやって人間は歴史を作ってきたんだから現代人も例にならって恋愛をやっていかなきゃいけない。恋愛感情を持たない人間もいるとは思いますが、それはまた別の話で、少なくとも歴史に恋愛は絶対条件なんですよ。各位頑張ってください。私はあなたたちの恋愛を積極的に応援していきたいと思っているし、そうでない人の生も積極的に肯定していきたい。私以外の人間にはすべからく価値があると思っています。本当に。

だから途端にラブの矢印が私に向くと「どうしたってんだ」となる。0になにを乗算しても1以上は発生しないはずなのに、驚いているうちに2にも3にも4にもなって、喜びよりも「また人生のバグを検知してしまった…」とうんざりする。やめましょうそういうのは。魅力だか何だか知らないけど、とりあえず一呼吸おいて路傍の花でも眺めませんか。視界に映る純粋な美が想像を裏切ることはないんです、絶対的な事実だけに身をゆだねませんか。もっと端的に言えば私に価値を見出さないでください。ないんです。自意識なんて形がない。私はどこにもいない。承認欲求だなんて言っちゃってるけど、実際に承認されたら怖い。中身を覗けば空っぽなんだから。バブルみたいにいつかパチンとはじけて「結局その程度か」なんて思われるくらいなら初めから何も思わないでいてほしい。お前ら私に何を求めている。何。怖い。何ですか…?若さ?女性?穴…?それ以外、ない…。

 

 

これだけ書いて21にもなって恋愛の妄想もしてみたけど、一番心地よい恋愛関係が朗らかな監禁生活になってしまった。大好きな人に24時間生活を奪ってもらえたら25まで楽しく生きられる気がする。逆に言えば、25までの人生だからそういう無茶もできる気がする。

やだ、絶対恋愛向いてない。もう嫌だ…。ちやほやが適用される25くらいまで適当に依存先を分散させて誰にも過剰な迷惑をかけずに過ごしたい…「あの子本当に生きてたのかな」みたいなこと思われるくらいの麗しのマシュマロ黒髪乙女になりたい…なんでもねだり…あれがほしい…これもほしい…わがままな君が好きさ…OHOH…OHOHOH…

 

てかそれお母さんでいいじゃん。

 

お母さんと死ぬまで暮らしま~~~~す!!!!!!

 

ーfinー

日常から切り離された

京都というと森見登美彦の小説が想起されるから、なんとなくフィクションの世界だと体が認識している。実際に降り立つと意外と京都っぽくないなと思ったり、一方で京都らしさが顔をのぞかせてその度にぴょんぴょん跳ねたりしていた。

もともとNUITOのライブを見に行く予定で立てていた算段が、インターネットのつながりで会うことになった人がいたりして非常に充実した二日間を過ごすことができた。二人でのんびり鴨川を眺めて「日常じゃないみたいだね」と話をしたりした。せっかくだからとじっとりした京都を黙々と歩いて京都大学吉田寮も見てきた。引きこもりが体を使うと当然眠気が来るわけで少しウトウトしたりもした。ご飯も美味しかった。書きながら思い出しても小説のワンシーンを思い出すような不思議な感覚に襲われる。

ともかく楽しかった。

自分の体がどうなってもあまり気にはしないというか、私で消費してくれるならどうぞというスタンスだから、若いうちは人に迷惑をかけないように消費していきたいと思ってる。こういうと怒ってくれる人もいるんだけど、でも私の人生だからあんまり気にしなくてもいいかもしれない。まあ他人が似たようなことしてたら心配になるけど。もちろん優しい自意識も何だかんだで死んでないみたいでたまに振り返ってはウッてなる。だからって一人に依存してよかった試しがないし、普通の生き方って逆に何かわからないし。

他人の優しさ、それが偽りでも嘘でも言葉にするとそこには確かに何かが宿っているような錯覚が起きて、少しだけ安心できるから。味見するだけならとびきり美味しい今を誰かに提供して、その感想をもらってニコニコできるならそれでいいかな。まあ、迷惑だけはかけたくないけど…。

 

NUITOはすごかった。場所が悪くて手元があまり見えなかったのは残念だったけど、小さな箱特有の一体感と、音が飛び交う密室が無音になる瞬間がたまらなかった。誰がいつ死ぬかわからないから、私も生きてるうちに生きてる人に会わないとな。帰りにキャスターを久々に買って、ライターをなくしたことを思い出して少し落ち込んだりした。

しばらくライブはないみたいだしあっても遠方だから次行けるかわからないけど、まあ生きてるうちに見れてよかったなと思った。

メトロもいい箱でした。不健康そうな人と治安の悪さがマッチしていて良かった。

 

京都をひたすら歩き、インターネットの人たちにオススメの場所を聞いたりした。全部は行けなかったから次は行けたらいいなと思う。

蕁麻草さんに教えていただいたエレファントファクトリーコーヒーは時間つぶしでお邪魔した。細い小道を入り、少し急な階段を登る隠れ家カフェで、深夜だから人も少なくてこれぞイマジナリー折衷庵…となるなどした。何が?

コーヒーがあまり飲めないので飲みやすいのを聞いて、わざわざ飲みやすいブレンドで作ってもらった。苦味よりも酸味が強くて、砂糖を入れなくても飲めたのは初めてだった。美味しいコーヒーは美味しいんだな。びっくりした。

閉店ギリギリまでいさせてもらってコーヒーのお礼と少し雑談をしながら見送ってもらった。「締めが終わったら飲みに行きませんか?」と言っていただけて「小説みたいなことが起きている…」と笑ってしまった。次行くときは飲みに行けたらいいなと思う。

深夜になると飲屋街はやたら治安が悪くなり、酔っ払いに声をかけられたり車から「大丈夫ですか?」と聞かれたりした。そっちが大丈夫なのかよ。

友人が電話してくれたりラインで暇に付き合ってくれる人たちのおかげで深夜の京都は賑やかに過ごすことができた。

甘やかされてるなあ。と実感した二日間。

こんなに楽しい街があるなら、もう少し生きてもいいかなと思った。

 

もともと人間嫌いだったのに歳を重ねるごとに人のことが大好きになる。会話が得意になったわけじゃないけど、人の話を聞くのは好きだ。言葉から汲み取れる感情もあれば、表情や皮膚から伝わる人生もある。自分の体を使ってその人の人生をじっくり味わうことができるなら多少しんどくてもいいかなって思えるのはこのせいかもしれないな。

人に話せるような華やかな人生もコミュニケーション能力もないから余計かもなあ。だからお酒に頼るし、タバコに頼ってるのかもしれない。この二つ、かなりコミュニケーションに使えることに気づいてしまった。

美味しいってのもあるんだけどね。私のタバコはキャスターだから、会いたくなったら吸ってください。多少私の味を感じるんじゃないかしら。少なくとも私はその人が吸ってたタバコは特別なものだと思ってる。こんなこと話してたらタバコ吸いたくなってきたな。ライター!!

 

何はともあれ今は帰路です。

明日からまた日常が始まるし、実は全部夢だったって言われても納得してしまうような数日だった。主人公したなあ〜〜という気分。

悪くないね。楽しかったよほんとに。

お世話になった人、ありがとうございました。

また行くと思う。京都療法、アリですね。笑

暇なんで

暇なんでなんか書きます

 

言ったけど人生に暇なことはそんなにないね

暇の裏にタスクは潜んでて、「生きる」っていう圧倒的面倒だるいしんどい作業を並行でこなしながらなんとか人類生きてますね。

偉いね、営んでますね。営んでますか?

 

電車に乗る機会が多くてツイッター見てない間は結構外見てます。1秒で目の前から過ぎ去っていく箱の中に人間が確かにいる「ニオイ」を感じるのが好きで。だから団地も工場も好きなんですけど。

人間のために作られた箱の中に人間が生活してるの面白いな。電車だってそうだよね。動く箱に人間が乗って運ばれてて、人間のニオイがするもの面白いなって思う。

人間から逃れられない〜〜。

 

まあ人間でいるのダルいなって思ってるけど猫になってもイノシシになっても「だっる」って思ってるだろうし、寝転がればご飯が出てくる今があるから生きてるんだろうし。

人間だと意外と面白いことにも会えるし。

そういう時はやってて良かったなって思う。

面白いことは「人間に会う」ことだね。コミュ障だから何言ってんだよーって感じなんだけど、リアルに他人の人生に触れることほど楽しいことってないね。

「私たち似てるね」なんて会話しても1〜10まで同じことありえないでしょ。似てると思ってたら実は全然似てませんでした!ワオワオ!なんてこともあって、私はツイッターで500%の力で発言してるからリアルは20%くらいでしか話せないし。その人が生きてきたものに言葉や体で触れるとどれだけ人間ぽくなくても「人間なんだなあ」って思わざるをえないし。

人間が嫌いになることがある中で20歳くらいから急激に人間が面白くなってきちゃったから、だから誰かに会おうって必死になってるんですよ今。お互いいつ死んじゃうかわからないから。できる限り誰かの人生に触れたい、私の人生には触れなくていいですよ。面白いもんじゃないから。あと会うとかなりつまんないな…私…。

 

20で死のうと思ってました。

でも今21、おそらく22は迎える。

結局死ぬのは怖くて、死んでからおそらく何か面倒なことが待ってる予感があるから。私は新しいことを手探りでやることが苦手なので、死んでからもなんかミスして誰かになじられるとか無理だし、だったらある程度可視化されてる未来を生きた方が楽だなって思う。今はね。

明日になれば死ぬかも、死んでないかも。

誰かの言葉で許されたり落ち込んだりするけど、その言葉は空虚かもしれないね。私もどこかで誰かを言葉で殺してるかもしれないな。小学生の時話してただけなのに急に泣き出した女の子を知ってるから。高校でも一回あったな。悪いことしたな。もう謝れないけど。

言葉に抱いた不快感は事実だから。辛いもんは辛いから。

言葉の重みねー、おっもいよね。考え出すと何も言えなくなるからあんま考えたくないな。

 

メンヘラ各位、おそらく常に辛さと向き合って生きてるから、何かができない状態が通常で、何かができる時は「上がってる」時だと思うから、うまくマッチできたら会えるといいなと思います。落ちてるなんていつもだよね。生きてんねー。生きててくれてありがとね。

 

久々にライブ行って、今週末も行くけど。

女王蜂だけは神様に見える瞬間があるな。無意識に拝んで「カミサマカミサマ…」なんていうことなかなかないでしょ。

生きてるうちに見れて良かったな、これからも何回も見たいな。

 

あとなんだ…書くことないなー、

ツイッター見よう。

半年前まで女じゃなかった。

 

半年前まで自分で化粧品なんか買ったことがなくてスキンケアの仕方さえ知らなかった。化粧水や乳液とかいろんな種類のものがあることを知ったのも最近。肌の色によって下地の色を変えなきゃいけないっていうことを知ったのも最近。「化粧しなきゃダメだよ」と知り合いに叱責されたときも「可愛い人が見栄えをよくするためにすることをなんでブスがしなきゃいけないの?」と本気で思っていた。着飾ることが恥ずかしかった。だってどれだけ足掻いたってブスはブスのままなのに、美容院でモデルと同じ髪型を頼むのが恥ずかしいように、誰かになりたい美しくなりたいって思われてるんじゃないかって思ってたから。自分の顔が好きじゃない。乾燥する肌が好きじゃない。地味に肌荒れする肌質が好きじゃない。鼻の形が好きじゃない。整えてもすぐにはねる髪の毛が好きじゃない。眉毛の形が好きじゃない。厚いへの字の唇が好きじゃない。好きじゃないものを見つめながら向上心を持つなんて恥ずかしくてできやしない。服も適当でいい。そんな適当なのにいっちょ前に承認欲求だけは爛々と輝いていて、誰かと比較しては「けっ」って思ってた。卑屈なブス。

その考え方を変えてくれたのがアイドル。去年の初めにでんぱ組.incを好きになった。おそらくアイドルの中でもぱっと見で「かわいい!」とはならない。ファンでも思う。でも動いてるのを見たり写真を見ていく中で「めっちゃかわいいな…かわいい…なんだこれは…」とユラユラ感情がざわめくのを感じるようになった。アイドルは自分が一番かわいい瞬間を切り取って精一杯生きている。まぶしい。素敵。大好き。「可愛い」に価値がどれだけあるか思い知らされた。「可愛い」ってすごい。見るだけで生きる力が湧いてくる。でも、だれしも最初から輝いているわけじゃなくて、そりゃ元から綺麗な子だっているんだけど、ほとんどのアイドルは一生懸命自己プロデュースをして、急に花びらがわっと開くように美しくなる。昔の写真と今の写真を見比べて本当にすごいって思った。整形なんかじゃどうにもならない「可愛い」って存在するんだよ。可愛くなろうとする努力が「可愛い」へ近づく絶対的条件なんだよ。年下の女の子見て気づかされちゃったよ。気づいたのが21になる直前ね。

遅すぎたと思った。

遅すぎでしょ。無理。高校の時なんてスカートなんか曲げたことなかったし髪の毛にも頓着がなくてずっとおかっぱだったし。大学に入っても化粧なんて1年に10回もしなかった。もちろんすっぴんで登校してた。自分を着飾る努力すらしないで他人から承認されたいなんてバカみたいな話があるかよ。ちょっとお金出せば買えるんだからそれくらいしろ。バカ。着飾ることは「自分のため」であり「他人のため」でもあるんだよ。やっぱり見栄えっていうのはどうあがいても大事だし。綺麗に置いてある商品の方が見てもらいやすいもんね。簡単な話だよね。それをこじらせた承認欲求で先延ばしにしてたバカはここですね。馬鹿じゃないの。馬鹿。

遅すぎる女性化を果たした今、試行錯誤しながらなんとか「女」をやっている。それまではなんだったんだろう。わかんないけど、少なくとも「女」ではなかったな。だから着飾る努力をせずに承認してもらおうとしている人を見ると過去の自分を思い出して「ありのままで好きでいてもらえるなんて思うなよ!!!!!!!!!!」と思う。ありのままで好きでいてもらえるなんて思ってましたか?随分おめでたいですね。一生そのままでいてください。自分でハッとするまではそのままだから。私がそうだったから。「女性」という存在価値に胡坐をかいて誰かに振り向いてもらおうとか思ってるのかな?思ってるの?そっかぁ。

可愛い服を着ても顔にお金かけてないんじゃやっぱり野暮ったく見えてしまう。素敵な服のためにも自分と会ってくれる人のためにもよそいきの自分を作ることは必要だと思うんです。少しでも気持ちのいい思いしてほしいじゃないですか。「自分のために綺麗にしてくれたんだ」って思わせれたら嬉しいじゃないですか。そんな他人のために生きるとか面倒かな。ごめんな、承認欲求から生まれた人間だから、他人から認められることに人生見出しちゃってるんだよな。あなたはどうかそのままでいて…。

後、化粧自体めちゃくちゃ楽しい。これは本当に。そういう記事を書きたかったんだよ。なんかメンヘラ.JPに自撮りと醜形恐怖のソレが出てるね。自撮りは詐欺って言われますけど詐欺ってなんぼだと思いますよ。ちょっとでも自分の顔を愛して生きていこうな。

 

また今度にします。諸々。

 

占い

占いは信じる。

信じるというよりは、その日のモットーくらいに思っている。

当たれば思い出すし、当たらなかったらそのまま忘れるので、占いとは良いお付き合いが築けているという自負がある。

 

そんな私は毎朝寝ぼけながらLINE占いを確認して1日が始まる。

今日は飛びぬけて運勢が良かった。5つの王冠が爛々と光輝いている。

雨が降っていたけどそこまで体が重いわけでもなく、学校に向かうことができた。

最近はもっぱらSHISHAMOウルフルズを聞いて登校している。

朝の空気に軽やかな女性の声は心地よく、ソウルフルな男性の声は精神にエールを送ってくれる。

流れる音楽に合わせて指でリズムをとるのが好きだ。音と体が一体になる幸福を指先で味わえているからかもしれない。

体全体で味わうならライブに行かなくては。6月末に女王蜂のライブに行きます。

 

講義室に到着する。講義を受ける。終わる。

身体が随分慣れてくれたおかげで、学校はとても楽になった。

親が作ってくれたおにぎりを食べながら携帯を触っていると後ろから声がした。

一つ下の男の子だった。学年は一緒。学科も一緒。

趣味がライブらしく、前からカバンについているラババンをみて話しかけたかったらしい。学科が学科なので趣味の合う人間がいない気持ちは痛いほどわかる。私は彼に同情した。

連絡先を交換し、自分の好きなバンドの話をした。ツイッターはやっていないことにしておいた。怖いから。

そしてニコニコしながら滑らかに会話をフェードアウトさせた。

17時にある用事まで一人でのんびりするというタスクをこなさなくてはならなかったからだ。

一人になれる場所を探ししながら、ナンパだったと気づいた。ここ数年で姉と「ナンパ会談」を定期的に行っている身としては一抜けした形になる。我々は周りのナンパ話を聞いて都市伝説だと信じて疑っていなかった。それが身をもって存在すると確信した瞬間、UMAを発見した学者のような気持ちになった。恐らく。

 

姉には多少の申し訳なさを込めて

「ナンパされた!!!!!!!」

と送信した。

 

数十分後、

「まじかよ!!!!!!!」

「私より先に!!!!!!!」

と返信が来た。

知能指数は似ていると思った。

 

17時の予定を済まして家に帰ると以前連絡していた人から連絡がきた。

風邪をこじらせ入院し、退院した後に学会の発表で今はアメリカに来ているそうだ。

代用機からわざわざ連絡してくれたとのことで、一先ず「ありがとう」と伝えた。

いや、この1ヶ月弱で諸々起こりすぎやろ。

と言いたかったけど黙っておいた。

 

週末に姉が帰ってくるのでバイトを入れないことにした。

バイトがなければほぼ暇なので、いろんな人とやりとりしてもらってるのは本当にありがたいことだ。

各位、ありがとうございます。

 

と、ここまで書いて占いのことを思い出したのだ。

運勢は良かったけど、なんて書いてあったっけ。

トーク画面を開く。

 

「対人運が好調。特に同じ趣味を持つ仲間と良いコミュニケーションが取れるでしょう」

 

やっぱ占い、当たるな―。

 

終わり。