あんまり死なない方がいいですよ。

この一年で体験したことを遺しておく。

言い訳と語彙力

よく「語彙力があるね」「思慮深いね」と言われる。

褒められるのは素直にうれしい。ありがとうございます。

でも言語化できる能力があるというのは、思っていることを可視化する能力があるってだけで、考えていること自体が特異というわけじゃない。

もし特異なのだとしたら関わってくれる人はもっと少ないと思う。だから私は思慮深いわけではない。あと別に特異じゃなくていい。生きづらいだろそれ。

 

というか21年生きていればそれなりに荒波にも揉まれるだろうし、人間関係で頭を悩ませることもあると思う。その悩みの大なり小なりは関係なく、全員どこかで壁にぶち当たって寝れない夜を過ごしたに違いない。だから人類等しく思慮深いんだろう。思慮深くなければ自意識に悩まされることも、意味もなく涙を流すこともない。それを恥ずかしげもなく出して、こんなところで無為に叫んでるのが私。

 

で、「語彙力があるね」においては、簡単に言えば化粧みたいなもんで、不格好な文章にぱたぱたとおしろいを塗っているイメージ。せめて人前に出るならって化粧するでしょ。そのイメージです。人に説明するときなんかは一番最高のコンディションを提示しないと負けちゃうから、語彙と表現フル活用で臨む。きっと化粧ならデパコスガン決め。

そう考えると文章はコスパいいなあ。

 

ツイッターやブログなんかだと文章が上手なだけで「それっぽく」見えてしまう。前面に押し出されるのが文章の世界だからそうなるわけで、語彙力を取り上げたら何も残らない人は多いんじゃないかなんて思う。そういう人はアルファツイッタラーとかでコンテンツ化していく印象。適材適所って言葉が似合う。別に否定しているわけじゃない。

顔がいい人の話がつまらないのは顔に価値があるから文章スキルを磨く必要がないためであって、文章しかとりえのない人は”こういう”世界に逃げ込むことで体裁を保って、価値を捻出しているように見える。自分に刺さりまくってるけど大丈夫かなこれ。

だから文章がうまい人ってのは人生の言い訳が得意な人なんだよ。真面目な語彙でそれっぽいこと言われたら「それっぽいな~」ってなっちゃうもん。頭良く見えちゃうもん。バンドマンがステージに立つと神に見えちゃうあの現象と一緒だよ。

私だってテストの点数が悪かった時、人間関係に不和が生じる予感がしたとき、意見が押し通されそうなとき、ありとあらゆる文法を用いて人生を切り開いてきた。その度に誰かは「それっぽいな~」って顔してくれてた。

美人が「これうまい」って言うだけで宣伝になる中、こっちは1500文字の渾身のレビュー書いてやっと普通に並べるの。そりゃ多少上手くもなるわ。顔にも中身にも価値がなかったから必死で磨かざるを得なかった。顔の次に表面に出せるもの、それが文章だったから。中身があるように見せかける練習は怠らなかった。

だってどれだけ自分のことが嫌いでも自分以外の体で生きることはできない。自意識を殺そうとしても殺そうとしている自分も気持ち悪いくらい自意識の塊で、20年かけて一緒に生きていくしかないって思えた。やっとだよ。おっせえよ。

ひのきのぼうみたいな文章力だけひっさげて図々しく生きていると、生きるの実は得意なのでは?と考えたりする。でも得意な人はそもそもこんなこと考えないな。

 

文章は魔法。文章はまやかし。文章は嘘。

こんなふわっとしたもので人の心を裏返すことができるんだから本当にすごいと思う。

 

最近ずっと考えているのが「妹としか見れない」って当時好きだった人に言われたこと。その時は突然だったから意味が分からなかったけど、今になって「あの時点で振られていたのか」って思うようになった。それをずっと頭の中で反芻している。

自分にとっては些細なことでも、相手にとっては人生をゆがませるくらい大きいものだったりする。

でも、他人の心にはなれないから何が悪いかなんてわかるわけない。経験則すら通用しない。一人一人にマニュアルが存在してしかるべきなのに「自分でも自分のことがわからないの…」なんて言いやがるからわかるわけねーんだよ。私も自分のこと全然わかんねえ。

だから注意を払っても相手が傷ついた場合は完全にそりが合わないってやつなので離れるのが吉。互いのために。運が悪かったってだけ。誰も悪くない。

 

何が言いたかったって「言い訳の練習してれば文章がうまくなるよ」って話だよ。

ほら、飾らなきゃ1文で終わる。話なげーよ。やめちまえ。

 

や・め・ま・せ~~~~~~~~~ん!!!!!!!!

 

 

www.youtube.com

 

大好きな曲でおやすみなさい。