あんまり死なない方がいいですよ。

この一年で体験したことを遺しておく。

自分の小説を人の前で朗読されたことがある。

高校の時、pixivで少しだけ小説を書いていたことがあった。恋愛小説。かなり稚拙だった。でも本人は満足していて、閲覧数が少し増えているたびに喜んだものだった。

それを朗読された。しかも爆笑されながら。私は激怒して半泣きでそいつを殴り、その場にいた全員の視線を浴びながら部室を飛び出した。アカウントは即削除した。二度と書くものかと思った。

 

そいつのことだけは未だに不幸になれと思うし、ストレスの素通りとはまさにこのことだ。ストレスの素通り、いい言葉ですね。

人に意地悪をするのにもストレスは多分に放出されて、過敏な人たちはそのストレスに負ける。自分のことを考えて言わなければならないことも言わずにおいてしまう。だからそのまま死ぬ。

自分のことになるとどれだけ負荷がかかろうと相手に任せられない。相手にそのストレスが降りかかることを考えて苦しくなるから。自分が生きてる間に「任せて良かったんだろうか」というストレスがじわじわ自分を苦しめるのを知っているから。そうするとストレスがかかるのが二人になる。じゃあ一人だけでいい。そういう結論に至る。

 

まあなんだかんだ言って小説は書いた。正直楽しかった。でもやっぱり得意じゃない。ブログみたいにすらすら出てこないし、明らかに引っかかったような感触がある。こういうのを不得意っていうんだ。エッセイ向きではあるから、文章において得意分野があってよかったと思う。勉強しているわけではないので得意と言っていいのかはさっぱりなんだけど。

 

ともかく今日は気分がいい。人に会った。とっても楽しかった。帰り際名残惜しくて仕方がなかった。なかなか会えないからなおさら悲しい。早く会いたい。

私は人に会うとあまり話さない。自分の人生は語ってもつまらないので相手のことを知りたいと思ってしまう。そのために知識や教養をつけて、良いレスポンスができるようにしたいけど、そのモノがないから結局「はぇ~」しか言えない。ダメじゃん。

あと活舌が悪いから話したくないのも大きい。舌っ足らずだということに気づいたのが最近。絶望した。最初はネタにされるからいいのだがどんどん飽きてくるし最終的に「そんな聞きにくいなら二度とお前と口をきかないからな」という思考になる。ちなみに原因は舌が異常に短いことにあります。

でも今日は違った。とにかく自分のことを話してしまった。自分の思考、価値観、好きなモノ、人…。そのノリに乗じて相手のことも積極的に聞いてしまった。とにかく初めてだった。初めてだったので加減がわかっておらず、超ハイテンションで話していたことを振り返り帰りの電車で絶望した。

私の人生、つまんね~!ありがとうございました!

言ってこのブログも私の人生の端々なんですがね、ツイッターは人生そのものだし。

だっさ。

 

その前の日にはおまえちゃんと会った。最初まさかのニアミスでわざわざ来てもらい、歌うことをせず話したり無言の時間を過ごした。

ゲームを貸してもらって、友好届を持ってきてもらった。紙に印刷するとそれっぽさがすごくて笑ってしまった。

タバコは絶対に買ってあげなかった。

彼女は人のパーソナルスペースに入るのが上手で、「仕方ないな~」と思わせる才能がある。これは才能という以外に方法がない。私には持っていない才能。すごいと思う。無言で膝枕を強制する人類を初めてみた。初めて見た驚きのあまり人に触れられ慣れていないことすら忘れて「そっか~」と順応してしまった。人は日常に突如訪れる非日常は受け入れることで解決しがちである。

そんなおまえちゃんですが、囲うことはしないけど末っ子の私でさえ「なんとかしてあげなきゃ」と思ってしまう。帰り際、私が先に迎えが来たのでおまrちゃんを残すことになってしまった時心配で「一人になるけど大丈夫?」と聞いてしまった。

考えたら25歳だった。

こうして我々は解散した。また機会があれば遊びましょう。