あんまり死なない方がいいですよ。

この一年で体験したことを遺しておく。

反省文

高校3年生の12月、突然起き上がれなくなり、話せなくなり、泣くことしかできなくなった。

センター試験の2週間前にやっと精神病院の予約が取れて、当時は大うつ病と診断された。「残念ですが、受験の方は…」と言われ、国公立の受験は諦めることにした。

センター試験は何とか向かうことができたものの、リスニングの音が雑音にしか聞こえず、結果は散々なものだった。

 

本当は社会科の教師になりたかった。当時教えてくれた先生に憧れて、明確に将来の夢を持つことができた。

生徒会長としていろんな人と仲良くなれることができたし、嫌われることもあったけど、満足のいく高校生活だったと自負する。

結局教職が取れる学科には行ったのだが、「体調のことを考えて諦めたほうがいい」と言われ、先生になるという夢は途絶えた。

 

文字を書くことができなくなったため、マーク式で入れる私立に入学した。

入学時には双極性障害2型と診断が変わり、薬や時間の流れによって少しは安定していたことから、少し調子に乗っていた。

夏には恋人ができた。とても迷惑をかけた。おそらくだけど、診断が下りていないだけでボーダーの気はあるのだと思う。

アルバイトも始めた。途中で調子が悪くなり、3年の時に辞めることとなった。

 

サークルにも入った。広報部長として頑張っていたつもりだったけど、プレッシャーや毎日学校に行き夜まで作業する過労がたたり、少し休みをいただいた。

杖が無いと歩けなくなるくらいまで疲弊し、当時の恋人にも迷惑をかけた。

なんとかサークルに戻りたいと話し合いを設けてもらったが、「病気でも休むのはおかしい」「私の方が辛かった」「何にも仕事をしていなかったくせに」と言われてしまい、辞めた。

頑張っていたような気がしたのは自分だけど、本当は障害者の進歩なんて健常者には到底及ばないということを理解することができた。

この頃から「障害者が生きているのは迷惑なんだ」と、改めて自覚したような気がする。

 

というのも、そもそも障害者になる前は、障害者が大嫌いで仕方なかった。仕事はできないし、人には迷惑をかけるし、何で生きているのか不思議だった。

その認識が自分に返ってきたことにより、かなり苦しむこととなった。

誰にでもなる可能性はある。本当に。

 

しばらく学校に行けなくなった。薬を多めに飲んでみたり、飛び降りようとしてみたけど、弱虫なのが災いして死ぬことはできなかった。

学校を何度かやめようと思ったけど、親や姉に諭されて、とりあえず休学という形をとることにした。

 

色々なところで「諦める」ということが増えた。

私は教師にはなれない。リスクのある仕事はできない。トップに立つことはできない。

無茶な作業も、普通の生活も、二度と戻ってこないしできない。

それを手放すことは苦しかったけれど、何年かすると諦められるようになった。

最初は薬を飲むことさえ苦痛だった。薬で自分がコントロールされているような気がして気持ち悪かったから。

 

ツイッターでは色んな人と知り合うことができた。悪意をぶつけてくる人も居たけれど、良い人が多かったように思う。

同じように苦しんでいる人がいることも、大きな支えになった。

恋愛をするたびに暴力的になる自分が怖かった。だから恋愛はしないようにしようと決めて、この1年はそれなりにやってこれたような気がする。

 

ここ数か月は飲み屋での出会いも増えた。良いことも悪いこともあるけれど、人と話すのは楽しいと実感する。

皆それぞれ何かを抱えていることが多い。20代になって格段に増えたような気がする。だからこそ、相手のことを想像して話さないといけない。何が嫌で、何が良いかなんて、画一的に決められることではないから。

飲み屋の世界は楽しいけれど、カウンターの向こう側の労力は計り知れないだろう。それでも私は飛び込んでみたいと思った。何かが変わるような気がしている。

 

 

昔は承認欲求の塊で、可愛くもない自撮りを載せまくっていたわけなのですが、まあそれは今も変わらず……でも、承認してほしいというよりは、単純に今日の私見てみて~!みたいな気持ちになったので、まあ、健全になったのかな。

昔は顔を見ると鏡を割ったりしちゃったし、診断は下りていないけど醜形恐怖だったのかなあ、と思ったりも……。

 

明日で大学の全課程が修了する。感慨深い。

周囲の人々に助けられまくった24年間で、そのうちの6年間は助けられてしかいないなあと痛感しています。

これからは誰かを助けられるといいなと思います。色んなことも良い意味で「諦め」られるようにしたいです。

諦めることは悪いことではないと思っているから、その分自分ができることに注力すれば何も問題は無いと思う。

 

諦めた分、周囲に比べたらつらい経験なんてしていないんだけれど、だからこそ、色んな人の話を親身に聞けるのかなあ、なんて良い風に捉えてみています。

身近に障害を抱えてしまった子がいて、心配しているのだけど、他の友達は「さぼってるんじゃない?」と言ったりしていて、人の認識の差を埋めるのは本当に難しいな、と。これは誰も悪くなくて、皆他人にはなれないからこそ、起きてしまうだけなんですよね。

 

皆さんが心身健康に過ごせますことをお祈りしています、機会が会えばお会いしましょう。またブログ書きます~。