あんまり死なない方がいいですよ。

この一年で体験したことを遺しておく。

こ、殺さなきゃ。

派遣バイトで死ぬほど疲れた状態で脳が加速し、眠ることができずに朝を迎えた。

正確には数時間眠ったのだが、数時間ではまとまらない情報量の夢を見ていたので起きているよりも疲労感がすごかった。

シクレストを飲んでいた時以来の激夢だった。

 

何とか起き上がり出発をした。風が皮膚を貫くような感覚を覚え、皮膚が剥がれないようにしっかりと腕を撫でた。

身体が冷え切っている。

世界全体が攻撃を仕掛けてくるのを感じた。

怖くなってつい、デパスを飲んだ。電車の中で安いお茶とともに流し込む。

一瞬だけ安心した。

 

20分も経つと床がマットのようにボフボフと靴底の圧力に反発してくるようになった。安い反抗は足取りをもたつかせた。

踏みしめるごとに「ボフ」とも「ギュイ」ともつかない感覚が体を揺らすのだ。

これは非常に不快だった。

すぐに全てが宇宙と交信し私の脳に住む人間を懐柔する感覚を得た。情報を傍受する焦燥感と脳の大事な部分がかすみ、押し付けられる圧迫感。

これも非常に不快だった。

周りにいる人間全員の面にぼかしがかかったような感覚があるのに、はっきり物体として目の前に存在する。彼らは集積し私にのしかかってくる。「ぐうーーーーー」と彼らはうずくまったかと思えば「きりきりきり」と小刻みに揺れる。

最後に言葉の概念が消えた。大量の音声が攻撃してくるのを感じた。

不快を通り越して恐怖に変わり「なんだ…なんだ…」と机に向かって呟いた。なにをしたっていうんだ、猫が宇宙に変わる。宇宙が立ち込める。宇宙が具現化する。宇宙、宇宙、宇宙…

 

少し寝て、4時間で意識が戻った。2度と日中には飲むまいと決めた。

 

・・・

 

去年の冬には周囲の学生を殺さなくてはならないという感覚に押し殺された。

「大学生」という規範から遠くかけ離れてしまった自分が、「大学」という拘束された世界に存在していることがたまらなく恐怖に思えたからだ。

・・・薬を飲む、眠れない、朝を迎える、希死念慮、薬を飲む、眠れない、朝を迎える、希死念慮・・・

終わりのない虚無を生成するライン作業をこなす中で、周囲の人間は何事もないような顔で日々を鮮やかに過ごしている。大学に行けばそれを嫌でも自覚することになる。

同世代の笑顔に殺される。「たわいもない」ということが己にとってどれだけ稀有で、離れた存在であることか。

彼等とは明確に世界が違うはずなのに、社会から与えられた「大学生」の規範から逃れることができない。

自分を殺すことは満足にできなかった。だから殺すしかなかった。

しかし殺すことで自分の罪悪感や焦燥感を拭うことはできない。

ただ、彼らは確実に自分を抹殺しようとしている。

妄想か現実か判別がつかないくらいには「誰かに殺される」という思考が脳内を支配していた。

サークルの人間に無断で休んだことを弁解するときも、うっかり「全員を殺そうと思った」と呟いたことを思い出した。

おかげで同期からの人格否定と罵詈雑言を退職祝いとして辞めることができた。

 

久々にその感覚を思い出した。

社会が怖い。社会に帰属できる気がしない。

再び自覚させられる覚悟はしていたが、やはり辛いものはつらい。

まだ諦めきれていない自分がいたこともつらい。

殺すべきは他人ではなく希望なのかもしれない。

 

 

「ザ・インシデント」を観ている。

薬を飲むときは一人ずつ確認しないのかなあ。と思っている。

映画は面白い。

 

終わりです。

諦めは後退ではない

生きることで様々なことを諦めるようになる。

 

それなりにいろんな経験をしてきたような、してないような不明瞭な人生の中で、諦めは大きな意味を持つようになってきた。

それが辛いことだったような気もするし、意外と気にならなかったりもする。

もちろん、後から思い返して「諦めなきゃよかったなぁ」と後悔することもある。

楽器がそれだ。一つでも続けておけば、もう少し深い人間になれていた気がする。

 

受験とか、病気とか、そういうきっかけのなかで「諦めざるを得ない」現実に直面したのが大きいのかもしれない。

これは私が人より大変だとかそういうことではなくて、生きている人間だれしもが辛い選択を強いられていると思う。あえて書いておきますね。

私は大変ではないです。大変だと思わせているのは脳の構造のせいです。

あと、そうやって「苦しさと向き合うこと」を諦めることでかなり生きやすいということに気づいてしまったのもある。

それはそれでいいと思う。

思考が加速していく中で諦めなければならない範疇は確かに存在する。

相手の気持ちまで考え始めたらその思考は途方もなく、救いもなさすぎる。

 

こういう話を書こうと思ったのは「可能性」の話をツイッターで見かけたから。

私は「可能性」に縛られて高校時代を生きたので、この言葉にどれだけの魔力と拘束力があるかは十分に理解している。

「可能性」は思うように可視化されない。素直に受け取ることも、発信することさえままならない、非常に繊細で危険な概念だ。

個体値というのも残念ながらある。「才能」とか「地頭」ってやつ。他の教科は勉強しなくてもせいぜい50点は取れていたのに、物理だけは何をしても32点しか取れなかった残念な私の頭が証明している。(欠点じゃないことが奇跡だった)

そういうことがあるから「可能性」っていうのは人を苦しめることになる。

「好き」と「才能」が合致することなんてまずない。

 

でも、どっちかっていうと個体値よりかは、「やり続けられる力」を「才能」と呼びたい。

大成しなかったとしても何かをやり続ける気力、時間、浪費、全てを気にせずに没頭できるのは「才能」ではないだろうか。

それが社会的によいかどうかではなく、何かに己をささげることで人生が豊かになるのであれば、存分に才能を発揮したい。あくまでも私はそう思う。

 

ひょっとしたら、何かの間違いだったとしても小さな芽が出るかもしれない。

暗闇を永遠に掘り続けながら、いつかシャベルに音が当たるかもしれない。

その途方もない「かもしれない」に「可能性」を見出すことこそが「才能」なのではないか。

 

不格好でも、ダサくても、がむしゃらにやるのはかっこいいと思う。

なのでがむしゃらに生きようと思います。才能なさそうだけど。押忍。

 

で、「諦め」と「可能性」を結びつけたのは、諦めることですべてが終わってしまうのではなく別の可能性を伸ばすという方向に考えられないかと思ったから。

全部を追いかけていたら何も得ることができないように、休むという選択や仕事を辞めるという選択は「自分を生存させる可能性」を明らかに伸ばしているわけで。

生きていれば何でもできるんですよね。できないときは「できる可能性を養っている」って考えていけたらいいなと思う。

何回でもいうけどあくまでも私の人生観なので、自分の生きやすい道を見つけることが生存戦略

 

そう思う中で、誰かと誕生日が同じとか、有名な人と同じ境遇であるという事実は絶対的で、揺らぐものではない。

ただそれを目標にするのではなく「持続力をチャージするもの」として利用するのが良いのだと思う。自分は相手になれないし、相手も自分にはなれないから。

上位互換とか下位互換のことを考えるのではなく、自分本位でもう少し図々しく生きてもいいのでは?

誰かになろうとするの、絶対疲れちゃうでしょ。

別の個体になるんじゃなくて、自分を永遠にアップグレードしていきたいな。

 

最近は幸せです。新たな楽しさに気づいたり、バイトを始めたり(今日は電話できなかったけど)、少しずつ自分がアップグレードしている実感があります。

今はエスターを見返して「こんなところにも伏線が…」とニコニコしている。

 

デフラグして中身の整頓をしたり、そこで空いた隙間に何かを詰め込むような人生を生きていきましょう。それには休憩が一番必要です。

バカみたいな文章だ。終わり。

あの私が

半年前、リーマスの副作用で文字が書けなくなり、パニックが起きれば目や口が勝手に動いてしまうような、いわゆる「限界」をさまよっていた。

学校に強制的に連れて行ってもらい道端で倒れたこともあった。通学路で倒れたときは警察に通報された。

バイトを辞め、サークルもやめ、学校にも行けず、人の家や病院との往来のみの生活。

「今日が死に日だ」とハンガーで首をくくろうとしたこともあった。衝動に身を任せて携帯を投げるおかげで壁に穴が開いた。

人に暴力を振ったことも少なくなかった。

 

罪を水に流すことはできない。流すべきではないんだとも思う。

二度と社会生活が送れないと確信し手帳もとった。

「限界」のなかで生き延びていく道を選んでいく準備を整えていた。

 

***

二週間前までは電車で通学なんてできないと思っていた。

案外脳みそは頼れるものがなければあきらめも早く、電車に乗り、歩き、バスに乗り、広いキャンパスの中をてくてく歩いて90分の拘束を受け入れている。

それが体にいいとか悪いとかではなく、そうしなければならないし、実際社会に溶け込むことが私にとって一番の薬であることが証明された。

身体が動く、一人で名古屋に行ける、人との交流を重ねて、多少の過ちは犯したものの人生に変動があったわけでもない。

明日も電車に乗る。ゆられながら古本を読む。音楽を聴いて、喧騒を少しだけ抑える。眠たければ寝る。自由に過ごす。

 

外で自由にできる事のすごさ、というものは、できなかった時間がなければ自覚できなかっただろう。

そういう意味では限界をさまよったことが無意味だったとは思わない。

二度と体験はしたくないけど。

 

バイトの面接が明日に控えている。単発だからクローズで行こう、体を見てもらえば虚弱なのは伝わるだろうから、相手のお願いを素直に聞かないように、ペースを崩さないように。いざとなれば手帳を見せて病気の説明ではなく、自分の体調の説明を相手に伝えよう。これも社会に出るまでの練習。自分のことを伝える練習をする。

 

そんなことを考えながら。

あの私が、バイトの面接に行くなんて!

きゃー!すごい!あなたそんなことまでできちゃうの!

と、私がぴょんぴょんはねている。

 

一方で。

畳に取り込まれかけていた私も消えているわけじゃない。

畳から半分だけ浮き上がって「調子にだけは乗らないで」と訴えかけている。

乗るもんか。乗れる身体じゃないことくらい3年もたてば分かる。

 

あの私が背中に寄り添っている。今の私はそれを無視したりはしない。

ということで、明日は行ってきますので。みなさんに良い報告ができたらいいな。

「バイトと勉強を両立する大学生」がゴールだったので、テープを切れるかもしれないな。

 

やりたいことが未来にできたから、頑張ろう。

 

***

あの私が自炊をしたこともビッグニュースです。

1年後には驚くくらい美味しくてきれいな何かが作れているといいな。

ビフォーアフターして全員泣かせる。見てろよ。

 

焦りの味がするテャハハーン。

 

みなさんも良い夢を。おやすみなさい。

一人酒を覚えた。

死ぬために用意した酒を、これからの人生に向けた祝杯にした。

焦燥した頭で購入した瓶酒は見たこともない名前で、とにかく美味しかった。

思ったより甘くてさっぱりしている。口に溜まる炭酸が初夏を感じさせる。

 

夏日が増えた。こたつ布団が消えた。

周囲に肌色が増え、額がじっとり汗ばむ気候になった。

暑いのは得意じゃない。冬より引きこもらないってだけで好きじゃない。

海に行っても泳げないし。あの水着どうするっていうんだよ。

 

未来への投資を少しずつ繰り返して、毎日にお疲れを告げて日々を繰り返していく。

「また生きてみようかな」「もうあきらめようかな」の波が繰り返されていく。

一昨年はこの時期に入院していた。無機質な部屋の中で外部と接触すらできず、公衆電話の向こう側から聞こえた大学の友人の声に泣きそうになったことを思い出した。

 

布団から起き上がれない自分が消えたとは思わない。あれも自分で、これも自分。

元気な自分が久々すぎて、いまいち慣れていない。でも、生きやすい。

生きやすい。今はとても生きやすい。自分の足で社会に溶け込むことができるのがたまらなく嬉しい。

二本足で立つことさえままならなかった過去は留めて、今は今を楽しみたい。

 

たわいもない、ということが人生にどれだけ必要かということを思い知らされる。

 

また1年生きた。明日も生きる。苦しいことも含めて生きていく。

手紙を出すとか、会いたい人に会いに行くとか、そういう未来の予定を作る。

やり取りの中で笑ったり困ったりするのも人間的で、そういうのが戻ってきたことに驚いて、また喜びをかみしめている。

 

これはお酒の勢いで書いている。今日は一人酒を覚えた日。

好きな音楽を聴いて人と会話をしてお酒を飲む。

 

非常に、楽しい。

先週に死のうとしていた。生きててよかった。

死に飲み込まれないように、だましだまし使っていた「生きていてよかった」という言葉が、はっきりと意味を持っている。

耐えがたい幸福感に押しつぶされそうだ。

 

自分で自分を幸せにすることはあまり慣れていない。

もう少し飲んで寝ようと思う。

 

あなたも生きていてよかった、そして私も。

受験うつが拗れて一生の枷を背負ってしまった話

GWいぇ~い。生きがいい魚です。こんにちは。

 

以前牧山さんと受験うつの話をしていて、書こうと思いました。

書きます。よろしくお願いします。

このブログにたどり着いた猛者は見ていってください。

 

 

 

受験うつといってもおそらくストレスは様々で、純粋に睡眠時間が削られ追い詰められ、学力の数値をにらめっこをする精神にはよくない状態が続きますから、誰でも調子がおかしくなるものだと思います。

学力に余裕のある頭のいい友人でも口の中を噛みすぎて血だらけになっていましたし、周りの空気もピリピリしてくるのがなんとも嫌でした。

 

受験にいい思い出がある人はあまりいないかもしれませんが、私の場合は「学力に見合わない目標」「自分への投資ができない性格」が起因していました。

 

 

学力に見合わない目標

生徒会長で文化祭に全力を出した結果10月頃まで受験勉強に身が入らず、気づけば周りにはおいていかれ滑り止め合格も厳しいような状態が続いていました。

というのも私は田舎住みで一人暮らしもできなかったので、選べる学校も限られていたんですね。教師を目指すために教育学部に行こうと思っていたんですが、当然周りの人もそこを目指すわけで、背伸びしても届かない目標を必死で掴もうとする状態が12月まで続きました。京都なら受かりそうなところがあったんですけどね…。

月1である模試も、辛い授業編成も確実に体を蝕んではいたのですが、周りはB判定やA判定をとるなかC判定を取り続け、そのたび親に言い訳をするのは本当につらかった。

 

「ここをもう少し勉強すれば大丈夫だから!」

 

いやそれできてたら今頃B判定は取れてるんだよ。

何の根拠なんだよ。

 

先生にも一人暮らしができず教育学部に行くことを話しているのになぜか京都の学芸員の資格が取れる大学を紹介され「こいつの耳はどうなってるんだ…?」と思う中、目指していた大学に推薦制度があることを知ります。

学力はなかなか厳しいものがありましたが、掴めるものがあるならチャレンジしようと思いました。生徒会長をやっていたので内申面においてはは有利だろうと考えていたし、むしろそれに使わなくて何に使うんだって話じゃないですか。

早速話したら(先生からの提案は泣く自力で調べました)先生に「面倒くさい。どうせ落ちてモチベーション下がるだけだよ」と言われ、結局推薦は受けられませんでした。

正直受験して受かったかはわかりません。だって受けてないから。でも他人よりも確実に生徒会に時間を割いていたのだから、その分何かの恩恵を受けてもいいのでは…と悶々としていました。

推薦はだめ!という風潮があったかと言えばそうでもなくて、特進クラスの中でも国公立を目指す人と推薦で受かっていく人は半々でした。

推薦を受ける許可を得た友人が受かっていくのは何とも羨ましく、より一層劣等生という烙印を押されている気分になりました。

推薦すら受けられないんだよな…と。

 

もちろん私立大学もありました。高望みをしなければ入れるところはあったのですが、「こんなところに入るくらいなら浪人する!」と言って自分の道を閉ざしていました。

親に対しても申し訳ないと思っていたし、目に見えない何かと戦っていたんですね、ずっと。

 

それが社会なのか世間なのか、自分自身なのか、全部ですかね。

でも、あの頃は必死でした。

 

 

自分への投資ができない性格

勉強のモチベーションはいろいろあります。あの大学に入りたい、あの教授の講義が受けたい。家から近いから、やりたいことがあるから…。

先生になりたいという漠然とした夢を抱えて勉強をするのですが、「自分の夢の実現のために」と考えるとどうしてもやる気になれませんでした。

別のところで書いたのですが私のモチベーションは人からの称賛にあります。

 

私が大学に入って夢をかなえたところでそれは私の人生…私の人生が彩られようと誰の得になるんだろう…

 

今は「まぁ自分のために頑張るか」と思える瞬間が少しずつできてはいるんですが、自分を成長させるためだけの行動ってやっぱり気が進まないですね。

意味ない、どうせ死ぬし、って思うからですかね。あんまり死なない方がいいんでしょうけどね。

 

だから転換させて「親のために頑張る」と決めました。親が喜ぶから、親が払うお金が軽減されるから、社会的に認められるから…思えば学歴コンプレックスのようなものは抱えているのかもしれません。

とにかく他人のために頑張るというモチベーションでがむしゃらにやる。自分が疲れていようがメンタルが崩れようが「親のために頑張らなくては」という気持ちで自分を追い込みました。

ちなみに親に国公立に行けと言われたことも、無理をしろと言われたこともありません。私が勝手に作り上げた空想の何かです。

 

 

近づく影

12月頃、徐々におかしくなります。

最初は虫が周りを飛んでいる幻覚が見えるようになりました。手で払うんですが周りは気にしている様子もなく、飛んで行った先を見ると忽然と姿を消すコバエのような幻覚。

センターの過去問を解いている間に飛んでくるとなかなか集中できず困りました。

 

次に視力が低下します。文章がかすむんですね。近づけても離しても一瞬ピントが合ってぼやけてしまうので、100均で老眼鏡を買ってプラセボ効果でしのぎました。

もちろんよくなることはなかったので心因的なものだったのだと思います。

 

最終的に何もする気が起こらなくなり、親に適当な言い訳をして勉強をせずに寝る日が2日続きました。

 

その後、布団から起きることができなくなりました。

言葉も発することができず、親の顔を見るだけで涙が出るだけ。

食事もとらず2週間で4キロ落ちました。

 

予約でいっぱいの病院に何とか滑り込み、うつ病と診断されました。

その後双極性障害2型に病名が変わり、薬を飲む生活が始まりました。

 

センター試験はなんとか受けましたが330点もなかったと思います。

もちろん二次試験も記念受験です。

でも、受けられただけ良かったと思います。

 

最終的に「こんなところに入るなら浪人する」と言っていたFラン私大に入ることになりました。人生最大の屈辱。親の顔に泥を塗った気分でした。

 

 

受験は辛いよ、でも大丈夫

受験勉強されてるみなさま、お疲れ様です。

受験に苦い思い出があるみなさま、生きていてくれてありがとうございます。

 

Fランに入ることになりました。今は留年までしてしまい、金食い虫でしかありません。迷惑しかかけずにここまできてしまいました。

 

でも一つわかったのが、自分が本気を出せるのならばフィールドは関係ないということです。

編入するのもいいでしょう。過ごしているうちに体が馴染んできて離れがたいと思うこともあるでしょう。人生は非常に流動的であります。もちろん人の意志なんて変わって当然です。それを責める人もいません。

ただ一つ「こうしたい」というものがあるのならFランであろうが上を目指すことができます。実際に有名な大学で研究をしていたFラン大生を知っていますし、国公立でぼんやりしていれば、その先もぼんやりした未来になるのです。

 

自分の未来を変えられるのは自分しかいません。

私はFランに入ったことで「動物園か?」と思うこともありましたが、一方で出会えてよかったと思える仲間もできました。お酒を飲んで羽目を外したり、サークル活動にいそしんだり、大学のうちにしかできない遊びもたくさんしました。

決して無駄ではなかったと思います。

留年が間違っていなかったかはただいま検証中です。

 

ただ、私は受験期間に身の丈に合わない生活が続いたことにより、全体的にパラメーターが下がりました。

文字を何回も読み直し、8割分かればよい方です。人の話が耳を通り抜けるのは日常茶飯事、学校に行けない時期もありましたし、体力が落ちてしまったことにより人並みにバイトをすることもかないません。

頑張ればできるだろと言われるかもしれませんが、できたとしてもそれは「無理」のある生活になってきてしまいます。

うつ病は症状が重い間だけが苦しいと思われがちですが、実際、その後が結構苦しい気がします。

気圧がおかしいだけで平気でメンタル崩れるようになりました。

うつの間にため込んだタスクに打ちのめされて、やっと復活したのにうつ状態に戻ってしまうのもよくあることです。

それを積み重ねていくうちに「ここまでにしとこう」という線引きがどんどん増えていって、ひきこもりがちになってしまったりしますよね。

むしろ積み重ねるほど癖になっていることにも気づかされます。

「無茶ができない」っていうのは結構苦しいです。

 

うつになって自分の体に変なクセがつくくらいなら、「やばい」の一歩手前で止めておいた方がその後の人生が豊かになります。

手帳を持つくらいの障害になったことを経験と考えることもできますが、決してよかった!とは言えません。少なくとも今は断言できません。

もちろん障害になったことで出会えた人もいますし、様々な経験もさせてもらいました。それは素敵なことだと思います。

でも、手に入れるべくして手に入れるべき人生ではなかったでしょう。

他の人に勧めるかと言えば絶対勧めないし…。

 

「今無理をすればよい人生を手に入れられる」と考えさせられる場面は多いです。

21年しか生きていませんがそれなりに出くわしてきましたし、この先も出くわすことがあるでしょう。

その無理が「無理=面倒」なのか「無理=苦しい」なのかによって選択をするべき。

苦しいことはしても損です。それはあなたの現状で成し遂げられることではないから。自分の体力を削られて死んでしまうだけです。

ひのきのぼうしか持たない勇者は中盤の敵に立ち向かうことは難しいですよね。

現状を打開するためにはレベル上げと武器の見直し、盾の購入になります。

それが時間を要するものなのか、スキルを磨かなければならないのかを見極める必要もあります。

 

それを見直してもダメなら、そこは自分に合わない世界かもしれませんよね。

勇者が恋愛ゲームの主人公になっても女の子の引き出しを漁る犯罪者にしかなれません。

受験勉強の話にはあまり適応できませんが、仕事にはあり得る話だと思います。

環境が悪いっていうのも自分を追い込む条件になりますから。

 

 

柔軟に人生を変更して深手を負わないようにしたいものですね。

現場からは以上です。