あんまり死なない方がいいですよ。

この一年で体験したことを遺しておく。

飲み屋で働く

物心ついたとき、家には父親がいなかった。

それは私にとって当たり前で、母も姉も、父親がいないことに対して何か言うことは無かった。

 

「父親が家に居ない」ということを実感したのは小学1年生の連絡網を見た時。

「離婚しましたので、何か娘について気になる点があればお知らせください」と書いてあるのを見て「うち、離婚しているんだ。」と気づいた。

小学4年生の時に「お父さんは?」と同級生に言われて「うち、いないから」と返した。しばらく困った顔をされて「ごめんね」と言われ、普通のことではないのだなと思った。

その後、二度と父親と会うことは無かった……と言うわけではなくて、数年後には1か月に1回ご飯を食べるようになるのであるが。

 

父親は明るくて、酔っぱらうと話が長い。アニメが好きで、私が持っていたフィギュアを「頂戴。」といって持っていくような人だ。

父親と2人きりで話をしたのは、覚えている限り3回しかない。

1回目は、私が1人で留守番をすることになり、晩御飯を一緒に買いに行ってくれることになった時。確か中学生の時だったと思う。

余りにもよそよそしい私の雰囲気が移ったのか、終始ギクシャクとした心地で終了した。正直、何を話したのかさえ覚えていない。

いないのが当たり前の人物が家族という違和感に、距離を測りかねていたのだろう。

 

2回目は、大学生になってから祖母の家でバーベキューをした時。父親は火を構うのが大好きで、定期的にバーベキューをしないと死ぬ呪いにかかっている。

手伝いをしながら酒を飲み、2人だけでベランダに居た時に話をした。

当時、既に障害を患っていた私は「この人は私の障害についてどう思っているんだろう」という疑問があり、お酒も入っていたので聞いてみた。

「母親と話して、母は自分の家系の遺伝が原因かもと悩んでいたよ」と話していたと思う。私に労わる言葉をかけてくれたし、ちゃんと父親っぽいことも言っていた気がする。

この時に「ああ、父親なんだなあ」と思った。それまでは「親戚のおじさん」くらいの感覚しかなかったから。

 

3回目は2人で私の誕生日プレゼントを買いに行ったとき。色々な洋服を購入してくれた後、飲みに行き、飲みすぎて2人で母親に怒られて帰宅した。

「これまでは父親らしいこと何にもしてないもんなあ」と笑いながら言うと、父親はカッカッカと笑った後「そうだなあ、これから返していきたいと思っているよ」と言っていた。

 

母親は父親の悪口を言ったことは一度もなく、1人で2人の子どもを育てたことも「可愛い時間を独り占めできたからよかった」とニコニコしながら言う人だ。

ただ「あの人は結婚に向いていなかったんだろうね」とだけ言っていた。

 

近所の飲み屋を徘徊するようになってから、父親の話をするたびに、父親のお店で働いていた人だったり、知り合いだったりということが続々と発覚している。

「知ってるも何も、ここら辺の飲み屋の走りをやっていた人だよ」と言われたこともある。

私は様々なアルバイトを経験しながら毎回「向いていないな」と感じていた。すぐ辞めることも多かったし、仕事というものに良い印象を持ったことは無かった。

そんな私が今、父親がたどった道に踏み込もうとしている。

新しいアルバイト先は、様々な年代のお客様が多く、店員は男性しかいない、スナックのようなカラオケバーだ。

女性をカウンターの中に入れたことはないそうで、新たな試みの中で私を入れてくれたことに感謝している。

難しい仕事だと思うが、もし可能であるなら、水商売という分野で何かを見出したいと思っている自分がいる。

 

24になってから、尊敬できる父親の背中を見る機会が増えた。

バーデンダーの父は、今も小さなお店でバーを経営している。